('A`) < あなーたーしんこーけー
現役で大学受かった身としては正直全然関係無いんですけど、何故か胃がキューッとなります。
言うてまだ一年しか経ってないですからね、覚えてる事も多いし、この一年予備校で俺の何万倍も勉強して来た(であろう)同級生とか、自分が将来やりたい事の為に絶対滑れない後輩達が勝負に臨む日でもあります。俺そういうの結構気になっちゃうタイプなんで
何かしら書いてみようかなと思ったんですが、特に試験とか勉強で人にとやかく言える事も無いのでセンター試験とか二次とか、諸々の思い出を振り返ってみようかなと。受験はめいめいで頑張れ
センター当日ですが、僕は徹夜明けでした。
しかも二徹でした。
寝れなかったですね。2日前は普通に最後に詰め込もうと思ってた日本史の細かいとこが入り切らなくて、コレはもう脳が柔らかい内に直に書き込むしかないと思って半睡状態で単語を書き続けるヤツをやってたんですけど、徹夜ってピーク超えたら逆に目ェ冴えて来るじゃないですか。
完全に変なゾーン入っちゃって前日は体は起きてるのに脳は寝てるみたいな、地獄でした。何も考えられなくなってね。睡眠って大事。
まぁ今思えば緊張とプレッシャーですよね。学歴社会め。
確か両さんもそうやって集中力を維持したままテストに臨んでいたような気がしますが、兎に角そんな状態だったんで余計というか、変に細かい事ばっかり覚えてます。
家の神棚に祈ってる時変なツボ入って爆笑したり、教室入るまでに10個くらいキットカットの袋貰って持て余したり、自分の高校が試験会場の模試でさえ私服で行ってたのに何故か当日は気分で制服着てって、激励に来てた先生に「最後まで読めない奴」って言われたとかね。
iPodでガンガン盛り上がる曲かけてテンション下げないようにしてました。いつもの癖で多分歌ってました。迷惑。
因みに、肝心な問題は何一つ覚えが無いですね。
受けてないんじゃねぇかっていうくらい。
センター試験において最もやっては行けない事の一つだと思うんですけど、良くない意味でフワッと受けました。「あれ、何か終わっちゃった?」みたいな。
数IAで寝ました。
意識がプツンって切れちゃって。でも起きてはいるんですよ。視覚は生きてて、でも頭が全く働かなくて、頬杖突いたまま十分くらいぼーっとしてるっていう。
それでもそんなに焦らなかったから、余程どうかしてましたね。パニクらなかったっていう意味では良かったかも知れないです。
そんなこんなでセンターは爆死しました。自分が受けて来たあらゆるセンター形式の試験で最低合計点でした。7割ギリギリ行ってないくらい。
笑いましたね。
バカ受けですよ。よく「草も生えない」とか言いますけど、二周目からは何かよく知らない種類の草が生えて来ます。
ただ、ギリギリ直前で親から「私立でも良い」っていう言質を取ってて、その分まだ余裕が有ったんじゃないかなと。「次」で力が出せれば良いって切り替えが出来た。俺にとっては逃げ道が有った事が何よりの支えでした。
もしかしたらソレで僕の中の「センターから国立、無理なら今年は終わり」みたいな、覚悟が弱くなったのかも知れませんね。結果論になりますけど
私立受験もめっちゃ大変でしたけどね!
色々考慮したんですがスケジュールがひと月内に 名古屋日帰り→東京2日→一度帰ってから東京4日 を乗りこなす事になって、然も妹が2回目の東京の前に家にインフル持ち込んで来やがって。妹が学校休み始めて、父が発熱して……くらいのタイミングで母と新幹線乗って逃げるように上京したんですけど、電車の中から既にちょっと体調が悪い。フラグっていうかもうイベント導入部。
案の定東京で38℃出ました。
取り敢えずホテルに常在してたお医者さんと、もう21時くらいだったんですが母が頼んで近辺でまだ開いてる病院探して貰って、タクシーで連れかれました。
この辺りマジで親が居てくれて良かったと思います。一人だったら完全に詰みでした。病気のコミュ障とかもう手に負えないですから。
外来の女医さんがめっちゃ美人でテンション爆上がりましたね。
丁度その間に家に残ってた祖母がやられちゃって。予想はしてましたけど、絵に描いたようなパンデミックですよね。別にそんな珍しい話でもないし。でも寄りにも寄ってこのタイミングかよ、と。
受けましたけどね。
4日の内、初日は前乗りで2日目に試験、その日の夜に熱が出て、3日目は元々何も無かったので飯食って寝て、4日目の試験に強行出場しました。
もうほぼ間違いなくインフルだったんですけど病院で「本当にインフルなのかはっきりした結果が出るまでは時間かかるので、もしアレだったら行けちゃいますよ」的な事言われて。女医さんに。
ホテル帰ってからも考えたんですけど、「あれ? 俺行けんじゃね?」ってなっちゃって。
流石にコレで三重に戻るのは嫌だったのかな。欠片でも受験生のプライドが有ったとしたら結構な事です。兎も角当時は自分なりに必死だったみたいで、エゴが先行しました。
大変なのは親でね。
母はまだ発症はしてなかったんですけど共倒れになった場合のリスクが怖過ぎるってんで、俺が東京滞在の間に良くなってた父が母と入れ替わりでわざわざ来てくれました。皆何かよく分からなくなってたんでしょうね。
結局その時受けた所は全部落ちてたので、今は1回目の東京遠征で受かった大学に通ってます。あの4日間は何だったんだとも思いますけど、まぁそんなもんですよね。
そんなもんなんですよ。
去年の今頃は、コレで人生決まるくらいの気持ちで、まぁガンガンイメプしたり小説書いてなろうに上げたりしてたんでアレですが、何と言うか、悲壮感が漂ってました。表面上は。
周りもそうだったような気がします。そう言って憚らない大人も居ました。
でもやっぱり、振り返れば「意外と大した事じゃ無かったな」ってなります。多分振り返ってるからそう見えるだけで存在感は大きいままですけど、あの時の選択が今ガンガンのし掛かって来てますけど、言うて過去の話なので。大した事じゃ無かったって言い聞かせて次に備えれるようになります。
人生をが干支を5周、つまり60年の還暦で一つの区切りを迎えるというのは普通に知られてる事だと思いますが、60年を一日(24時間)に当てはめた場合2.5年で1時間、1年24分換算です(算数できないので要出典)。
これで行くと生まれてから5歳は午前2時、早い人は自分で何となく世間が分かってくる、目が覚めてくる朝6時は15歳、二十歳になってやっと朝の8時です。まだ朝ごはん食べたくらい、休日だったら余裕で寝てる時間。
要は考え方ですよね。
朝早くから起きて働いてる奴も居れば、昼頃になって漸く起きて来る奴、皆が寝てる時間に遊んで楽しんでる奴も居る。今日一日、何時に何がどう転ぶかなんて、朝7時やそこらじゃ決まらないって事です。予定は組めるけどね。
だからこそ、全力で取り組める。何せこの一日は全ての人間にたった一回しか与えられてない。一分一秒、無駄に出来ない筈だ。
卒業の日、担任にされた話です。ぶっちゃけボンヤリとしか思い出せないんですがニュアンスはこんな感じでした。
僕が居た私立高校はゴリゴリの仏教団体が経営してて、先生もどっかの寺の住職と兼任みたいな人がいっぱい居るんですけど、お坊さんって色んなエピソード持ってるんですよ。講話とかしないといけないんで。
これも良い話だと思います。気休めですけどね。
この場合、大学受験って何なんでしょう。
やりたくもないのに親にやらされる歯磨きみたいなもんでしょうか。文字通り朝飯前。
クソ真面目にやる人も居れば力抜いてやる人も居る、そもそも来ない人も居る、ラジオ体操みたいなもんかも知れないですね。
反面、朝から人生賭けて仕事しなきゃいけない人も居る。
後悔は「後」でしか出来ないので「後悔しないように」ってのは無理です。
受験に限らず何がどれだけ上手く行こうが、結果には100%後悔が付いて回る、そういうもんだと思ってます。
俺は他人の人生を経験し得ないのであんま突っ込んでどうこうは言えません。
でも、何とかなります。
望まない道にせよ、殊更「進路」なんてもんは、どんだけ転んでも、やらかしても、大体何とかなるように世の中出来てます。
だから「やらかした後」の事を考える必要は無いです。
大丈夫なんで、飛び込んで来て下さい。思う存分やらかして来て下さい。ロト6外して来て下さい。俺は人の不幸が大好きです。
では
('A`) < セイッ