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毒男とずんべらと猫娘のようです

 

('A`) < あふ

 

毒男です。テスト期間真っ只中ではございますがアニメと妖怪は生命維持活動なので今週も鬼太郎について感想など

今回はかなり際どいというか、突っ込むなぁって感じのアレでした。

 

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敵、と言うか登場したゲスト妖怪は「ずんべら」でした。絵はのっぺらぼうです

関連性は有るでしょう。のっぺらぼうの事を「ずんべらぼう」とも言いますし、所謂妖怪としての「のっぺらぼう」と漫画の中でオリジナルの脚色がされたキャラクターとの中間みたいな感じかな。言ってしまえば鬼太郎に出てくる妖怪は全員そうなんですけども、今回は特に「ずんべら」と呼称されてる訳ですね。

 

独特な手法で人間の「顔を盗る」化け物で、鬼太郎好きとしては馴染みの深い「人魂の天ぷら」が登場し一部の好き者達は狂喜乱舞しました。

漫画の方にね、のっぺらぼうがねずみ男に人魂の天ぷらを食わせる話が有るんですよ。割と美味いらしいんですけど、その後腹の中に入った人魂が口から抜け出て行く時に、ついでに顔面も引っ付けて持って行くっていう。

まぁ俺も書いててよく分かんないよ。兎に角その話の要素を取り入れて来たと。口に入れた人魂に顔を持っていかれるっていうのは、水木作品の中で度々使われる鉄板のくだりではあるんですが

此処に関しては完全にファンサービスですよね。実際は必要無い工程なんじゃないかなと。

 

何しろ今回ずんべらは女の子の顔を直に剥ぎ取って死人の顔を貼り付けるっていうとんでもねぇ手法で整形ならぬ「霊形手術」を施す超絶セクシーな着物美人のお姉さんで、人魂がどうとかは関係無いんすよ(原作を鑑みるに人魂を食わせる事で意識を朦朧とさせると同時に顔面を剥離させ易くしてる的な解釈は可能かも知れません。顔面を剥離って何)。敢えて混ぜてる要素。言ってしまえばずんべらさんには所謂妖怪的な描写が殆ど有りません。やってる事はおしっこちびりそうなくらい怖いですが

 

 

この話のミソというか、主役はずんべらさんじゃないんです。寧ろ彼女(?)は一種の「装置」として働く事に徹していて、その装置の使用者や取り巻く人間達に(特に後半からラストにかけて)強く焦点が当たる。女の子の話なんですよね。房野きららっていう

 

この娘がすっげぇ「ブス」扱いされます。

放送初っ端から。重い。先週と違う世界線ちゃうかってくらい。よく有るような子供のつつき合いの度を越してるんですよ。ただただ容貌の悪さの所為で悲惨な目に遭うっていう映像。

 

個人的に中学生にもなってイジメでしか己の位置を保てないような輩には明確な法律が適用されて欲しいなって思ってますが、学校も通り越して兎に角貶められ、辱められるシーンが続くんです。宅配業者が荷物受け取りに出て来た顔を見て素で悲鳴を上げる。

誇張しまくった結果とは言えコレはキましたね。

 

当然きららちゃんは生きるのしんどくなっちゃうんですよ。其処にずんべらが現れる。

無駄に人魂の天ぷらを勧められつつ、躊躇しながらも霊形手術の扉を開きます。

 

美少女の姿を手に入れた彼女に対する世界は激変。お約束っちゃお約束なんですけど掌返しも甚だしくて見てて胸糞悪かったです。いや先ず突っ込めよ。顔面変わり過ぎやろって

 

一番「あ?」と思ったのはね、ユウスケくんですよ。

ユウスケくんは野郎の地下アイドルみたいな感じで、きららちゃんはその追っかけでした。別人と言っても良いレベルで美少女化したにも関わらず、彼はその娘がきららちゃんだと気付くんです。まぁ「ブス」扱い時代からゴリゴリのロリータファッションを貫いてたんで目にはつくんでしょうが

 

実は彼、以前からきららちゃんの真摯な応援に心惹かれていたんですね。アイドルがファンに手を出すというウッフゥゥゥ⤴︎地下アイドルゥ⤴︎ってな展開ですが、兎も角そのピュアな想いにピュアに応えたかったんだと。ピュアラヴだと。それを今頃伝えやがります。

顔なんて関係ないさ、大事なのはコ・コ(胸を親指でトントン)的なね。とんだ出来杉男だぜ

 

ユウスケくんによる或る意味での「掌返し」が、逆にきららちゃんの覚醒を加速させてしまうんですね。

霊形を経て丸っ切り逆転した生活と、見違えた世界……其処で気付いちゃった訳です。誰よりも「顔」に、ソトヅラに拘っていたのは、自分自身だったんだ、と。

 

きららちゃんは倫理とか常識とかぶっ飛ばして美少女の自分を実現してくれる妖怪美容整形外科と、真っ当に、ありのままの人間として生きて行こうと説得するユウスケとの狭間で揺れに揺れますが、葛藤の末本質的な自分を愛してくれる男の腕の中で真の幸せを見出し「素顔」を選択するのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

んな訳ねーだろバーカw

 

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いやー

 

ね。

最後のどんでん返しは痛快というか、攻めてるな!って感じでした。「うーん…人間、やっぱり顔!w」エンドですからね。別に整形を肯定するとか否定するとかそんな話じゃなくて、房野きららという1人の女の子が妖怪と交わって

「化ける」事を選んだっていう、その恐怖ですよ。彼女は妖怪になったのか、人間のままなのか、今後どうなって行くかも闇の中で、ある意味非常に都市伝説的と言うか、人間のサイコな側面が主役を張った「怖い話」を読んだ気分でした。そういう意味ではぶっちゃけ振り返った顔がのっぺらぼうだった方が「怖くなかった」かも知れない。

 

因みにもう一人、ユウスケくんの追っかけできららちゃんに酷く当たってた厄介ファンの娘も霊形に走ってて、その娘はずんべらに顔を返して貰って元の社会に収まってるんですよ。

今期の納得行かねーと思う所は、人間の汚い所抉りまくってる割に、そいつらにケツあんま拭かせないっていう。逆に無辜の人間はガンガン死ぬ。日曜日の朝にやってるアニメなんだからもっとこうさ……何処までもヌルい勧善懲悪のさ……安心して観てられるようなさ……おじさんもうメンタルが朧豆腐なんすよ……

 

あとユウスケくんの顔取り外しシステムに対する適応の速さな。30分アニメなんでね、戸惑ったりする取り乱したりする時間が勿体ないのは分かりますけど

怪異に対する認識が一貫しないのは割と鬼太郎の世界では有りがちと言うか、漫画の時から「妖怪を普通に認知してる人間」「妖怪がらみの事象に対して物分かりが良過ぎる人間」と「頭っから信じない人間」の態度の差には度々混乱してきました。鬼太郎も新聞載ったりしてますからね。妖怪として

 

 

話を戻しまして

結局正義の、いや正論の使者かな。主人公たる鬼太郎は勿論、ヒロイン格の余裕タラタラで(偏見)安易に同情する他人以上知り合い未満のまなも、「本当の」きららちゃんを(恐らくは)心から支えたいと願い、アニメでこんなテンプレやられたら今日日男も女も落ちるやろみたいな絡み方をするイケメンぐう聖ユウスケくんも、彼女にとっては全く、これっぽっちの救いにもならなかったって事なんです。

彼女は自分の意思で霊形なのか、或いは真っ当な(?)整形なのかは分かりませんが、美少女化を選んだ。コレはなかなか強烈というか、最近のアニメってこえ〜みたいな、「人間怪談」的演出の怖さとはまた別の、二重の意味で恐怖を感じましたね。こんなオチやっちゃうのっていう。

ラストシーンできららちゃんが見せた清々しいキュートな笑みはインパクト抜群でした。あと正直鬼太郎居なくても充分成り立つエピソードでした。

 

 

 

 

 

で、

更にですね

 

 

 

こっからはもう凄いキモオタクの拗れたアレなんですけど

 

この話、今期では主に人間のモブに割り当てられてる所謂「水木調」のビジュアルと、今期のアニメの一つの核を担ってる「猫娘、まな的」ビジュアルの境界と言うか、

 

メタっぽい何かを感じて三重に怖かったです。

 

あの埴輪の如き目鼻口からなる顔立ちの独特なデザインは水木しげるの世界観を構築する上では外せない絵柄だと思ってるんですが、少なくともアニメにおいて、そのコンセプトは今風の「アニメ作画」に食い潰されたんだなと。勿論、御大は写実的な人間もバリバリ描いてるし漫画の『鬼太郎』にそういうリアル志向な姿のキャラクターが登場した例は掘ればなんぼでも出て来そうですが、ブスや美人の区別として使い分けられる時代が来ようとは、と。ブスブスやられてるきららは若干水木調なんですよ。チヤホヤされるきららの顔面は上の画像の通り。

でも水木調の顔って別に、ブスではない筈なんですよ。何故なら其処は水木しげるの世界だから。水木しげるの世界では水木しげるの描く顔が基準なのであって、水木調フェイスが「おかしい」「醜い」と殊更騒ぎ立てられる事は有りません。

でも御大の手を離れたアニメ『鬼太郎』ではそうは行きません。アニメなんで。八頭身猫娘とまなちゃんが出て来た時点で、遡れば三期の夢子ちゃん辺りからもう怪しかったんですが、『ゲゲゲの鬼太郎』に於いても美人、可愛いの基準はリアルの、俺たちが生きている現実の世界で設定した「アニメ的美人像」に順ずるようになったというか、

まぁそもそも原作との関係は緩いものに保ちつつソフト・ハード両面で柔軟に、その時その時のアニメにおける特色や社会背景を併呑して来た事で、今日まで生き抜き、愛されてきたのが『鬼太郎』シリーズで、2018年のアニメとして観る際に、視聴に耐え得るベーシックな可愛さを満たすよう求められてるネコまなが「ああ」なって、きららが「こう」なるのも『鬼太郎』の形なんでしょう。

にしても「外の世界」の侵食度合を感じてしまいテレビの前で複雑な気持ちになりました。勝手に。

 

 

だからって事あるごとに「こんなの鬼太郎じゃない」ってキレるのは不毛ですけどね。おっ、これも鬼太郎。おや、あれも鬼太郎。という大きな視野が必要です。原作を大切にする事と、続編、派生作品(と敢えて此処では言いますが)を攻撃する事は必ずしも結びつかない。

「俺は原作が好きなんだ」と主張する人は居て当然だと思いますが、「原作が至高であとはクソ」とか「〇期以降の鬼太郎はゴミ」とか言ってる人は嫌いです。紙一重なようで、案外違うんですよ。外に向けての発言で慎重さや配慮に欠ける人間に対する不審も含め

 

 

何が言いたいかっつーと

 

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こんな無礼千万な記事を書いてネットに公開するという行為は、作品に対する愛も理解も、産みの苦しみを慮る気持ちも欠けている、オタクを名乗るのもおこがましいレベルの「何か」だと自分から暴露してるようなもんだってこってす。愚の骨頂。

 

でも、良いんです。

こういうのが湧いて来るってのは話題になってる証拠ですから。望ましい形かどうかは置いて好きな作品に人気が出るってのは普通に嬉しいですし、いやまぁオタクは其処にすら難癖付けたくなってくるからこそ気持ち悪いんですけど、兎も角追ってる身として、ある程度は、ね。

御大のデザインを基調にした顔が公式でブス扱いされようが、生前の目玉おやじが引くくらいイケメンだろうが、それを輩がイジろうが良いんです。最終的には俺が何を、何処まで、どれだけ愛せるかに尽きるのですから。キモい事言ってんな

 

 

 

具体的に言えば

猫娘はみんな可愛い」

 

 

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これが俺の真理なんで。宜しくお願いします

 

 

 

 

では

 

('A`) < あばばばば