DQOzはそういうことだから

DQOz非公式サイト

毒男と妖花のようです

 

('A`) < バウワウワウ

 

毒男です。盆休みということで、皆さん如何お過ごしでしょうか。僕はタラタラしてます。そろそろ帰省したい

 

例によってゲゲゲの鬼太郎の話なんですけど、今回非常に興味深いエピソードでしたね。原作でも深いストーリー性と内容の重さを誇る「妖花」をモチーフにした話でした

 

f:id:fromDQOz:20190214083513j:image

 

絵はなんか漠然とした花の精です。花とかすげぇ適当に描いたけど多分こんな感じでしたよね。妖花そのものは送り主の魂みたいなもんだと思うので幽霊というか何というか、少なくとも妖怪扱いして良いかは微妙な所です。

 

話にまなを捩じ込む上で導入やキャスティングに若干の変更が見られ、また「戦争の音」が聴こえる、付いてくる足跡に導かれて遺骸を発見する等幾つか特徴的な演出が添えられてましたが、基盤のストーリー展開としては概ね原作に沿ったエピソードになってたと思います。カワウソが船頭を務めるハマグリ船に乗って南の島に密入国するのも漫画で「妖花」を読んだ人間にとってはニヤつけるポイントだったんじゃないでしょうか。しれっとねずみ男が乗り込んでるのもお馴染みっちゃお馴染み。

それにしても今回のねずみ男は渋くて良い役回りでした。戦争や森林伐採に対するコメント一つ一つが視聴者の印象に残るものでしたね。

 

花に想いを込めて人に送るというのは嘗て左遷の憂き目に遭った菅原道真が都を想い太宰府から梅を飛ばしたように、まぁ其処まで極端なアレじゃなくても、誰だってやるじゃないですか、花束とか。

戦争という大きな災厄に見舞われて会えずじまいになってしまった男が遥か南方から想い人に妖花を飛ばすという幻想的且つ悲劇的な物語で、此処まで真正面から戦争、しかも「太平洋戦争」に焦点を当てて扱うアニメというのは今日日なかなか珍しいのではないかと思います。

戦争に纏わる「教材」として扱える作品って「はだしのゲン」とか「火垂るの墓」とかが思い浮かびますよね。でもこれらは、勿論素晴らしい作品である事に異論の余地は無いんですけど、全部最初から完全に、戦争を扱った話なんです。「この世界の片隅に」もそう。戦争と、それに翻弄される人々の姿がメインテーマ。

何当然の事を、と思われるでしょうけど、つまり逆に今日の鬼太郎はそれだけ特殊なんですよ。2018年テレビでやってる連続アニメ(一応子供向け)で、ニチアサで、主役妖怪ですよ? そこに妖花をチョイスしてのテーマ「太平洋戦争」ってなかなか稀有な出来事じゃないでしょうか。流石に戦争責任云々にはそこまで言及してませんでしたが戦死体なんかは割とガッツリ見せてるし、まなが戦争における死を実感させられるシーンは多くの子供達に響いた事と思います。響いててくれ。

 

そこんとこ踏まえて今回特に思うのは、原作を超えて原作者の世界に突っ込んでるな、と。

ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親、水木しげる氏は太平洋戦争に従軍中、妖花の男のように南方の島で激しい戦闘を経験しています(その中で左腕を失いました)。

そして所属する部隊が襲撃を受けジャングルを敗走する際、不思議な体験をしたと自身の漫画で振り返っておられます。障害物が無い道の筈なのに急に前方に進めなくなる「塗り壁」のような現象や「べとべとさん」のような後ろを付いてくる気配、泳いでいる周りでチカチカする「しらみゆうれん」のような何か、木が倒れる音だけが聞こえる「空木倒し」にも出会ったそうです。戦争の極限状態である意味おかしくなってしまった結果「妖怪を感得した」というのも有ったかも知れませんし、元々御大の備えていた異界に対する感覚がずば抜けて優れていたのもこういった経験に繋がったんだろうと勝手に考えたりしてます。

今話で大きなインパクトを残した「戦争の音だけが聞こえる」「足跡が付いてくる」というような怪異はある種これらのオマージュ、踏襲とも言えそうだなーと。当時御大が聞いたであろう「戦争の音」は実弾と人間が伴う生のモノだった訳ですが。

 

また御大は圧倒的な自然に囲まれ、怪我の療養中も地元民と交流していく過程で深い森林や川に息づく精霊に強い興味を持っいったようで、戦後、漫画家・画家として彼の手から創出される作品にはその影響を感じられるものが数多く存在しています。この世から旅立たれる割と直前まで何度となくパプアニューギニア等南方の国々へ取材研究に赴き、トーテムポールを始め膨大な造形物のコレクションを集めていた事も知られています。

今回登場したトゥブアンはそのパプアニューギニアに伝わる精霊で、その辺りも妖花を通して「水木しげる」が持っていた背景を形作る要素を見せようとしてたのかな、とか。

 

御大の創作に戦争体験が深く関わっていた事は間違い有りませんし、ストレートに戦争を伝える意図に加えこういった水木色をも出していこうとしていたのならば、それは決して悪い挑戦では無いですよね。寧ろそれが出来るのも「鬼太郎」が秘めている力なのでしょう。ただ叶うなら御大が携われる形でそのような鬼太郎が作られていたら大変魅力的で意義深いものになっていたのでは、とも思います。

ぶっちゃけ我々は何にも知らない世代なので、8月に入ると急に太平洋戦争の事を言いだす風潮に違和感を覚えてる人間って少なくないと思うんですよ。でも本当はこういう事って、イベントとして飽きるとかそういうのでは絶対無い訳で。戦争ってものが有って、人が人を殺してたっていう拭えない現実を何処かで実感としてずっと、常に、永遠に忘れずに共有していこうっていう目的だけは一本筋を通してないといけない。形は色々でもね。

 

「鬼太郎」がその流れに加わってどう、とは一概にゃ言えませんけど(視聴者が如何に消化していくかな問題なんで)ある程度意味の有るエピソードだったんじゃないかなと。そのくらいで落ち着けておきます。

 

 

あと全然マジで今までの話とはチリ程も関係ないんで切り替えて欲しいんですけどまなが野外でトイレしようとしたシーンは若干性癖歪曲アニメ案件でしたね。

 

 

 

暑い

 

 

('A`) < イピヨーイピエイ