DQOzはそういうことだから

DQOz非公式サイト

毒男の憂鬱のようです

 

('A`) < 踏み躙られるほど強くなる

 

毒男やお。

いかがお過ごしでしょうか。私は新しい職場で一人称が「俺」になってしまい度々注意されています。とほほ。割と慣れてきた部分もありつつ、いつやらかしてもおかしくない緊張感が常に背中を這っています。まぁ悪いこっちゃないのかもですが

 

f:id:fromDQOz:20230514105920j:image

 

メーリオのパンフを無事ゲットしました。最近お金を使う機会が多くなった気がします。大人になったのでしょうか。そうでもないな

 

 

https://on.soundcloud.com/24LpU

 

 

こんな曲がありまして。

まず、掲示板上で音源をやり取りするネットラップ文化の残党、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)に居を構えるコミュニティ「せかちゃんくるー」の有志が毎年末に企画する大型マイクリレー、その名も「年末マイクリレー」ってのがあるんです。で、音源は基本各自web上のアップローダーに上げて提出してるので、掲示板見てる人なら誰のトラックもアカペラも落とし放題。そこで、本チャンの年末マイクリレーが完成した後に(偶には先に?)ラッパーだったりトラックメイカーだったり各々が独自にremixしたやつも追加で上がってくるっていう流れがあるんですよ。おもろいでしょ。

 

http://2chcrew.geo.jp/?mode=viewmain&no=4267

 

↑が去年の本チャン。原曲。保管庫というコミュニティ専用のアーカイブがあるのでそちらから。

 

俺ことM.C.Zは純ニコラッパー、白百合の花のように無垢なニコラッパーなので2ちゃんねるは言わば他所様の畑というか、別にそんな、ねぇ、まぁそんな関わることはないんですけども、今回の曲はなんか、なんかね。なんかなんですよ。事情があるんです。こっちにも。素晴らしいメンバーの素晴らしいトラックと素晴らしいラップが素晴らしいマイクパスをしててイイ感じだと思います。みんな個性立ってるし。前のやつ何年か分とか聴き返してると時事ネタに振り切ってくれているtom2さんにクソくらいますね。

 

で、そのremixが最初に貼ったやつです。remixの方先に貼っちゃった。ヒップホップの正統進化として完全に定着して久しいトラップ風味が聴き心地楽しいアレンジになっています。

原曲にいる2verse分流れてない?コイツみたいなのが、2verseに別れててウケました。原曲に合わせたメロをまた違うテイストでさらりと成立させてるのもイケメン。ウレションですね。せかちゃんくるーを代表するトラックメイカーによる秀作でした。

 

表題が「限界集落」。

今、せかちゃんくるーは、ニコラップは、ネットラップはもう過っ疎過疎の過疎状態でして、いやー過疎ってるねーwという人さえまばらな文字通り限界集落と化しております。いやその、廃墟ではないですよ。厳密には。やることやってる人達はずっとしっかりやることやってるし、新規さんの流入もあります。「ニコラップ」のタグがついてない動画が一本も上がらない日は、今んとこ、あまり、無いです。それは凄いことです。救われてます。でも一時期に比べて住民の母数が見る影もなく落ち込んだのは確かです。一応私も現役のプレイヤーとしてシーンを構成してる1人だからあんま言いたかないんですが、シーンを構成してる1人だからこそ断言できます。減衰しました。

年末マイクリレーだってほんとはもっともっと大規模だったんです。何十人と集まって。

 

どうしてこうなった?

 

個人的な意見として、ナウの現状を考えてみました。

ネットでラップしてる人(ネットにラップをアップロードする人)自体は確実に、かっくじつに、増えてますよね。今日日ラップ始めたいなって人がネット利用しない方が難しいくらいで。

例えば先週ついにスマホを買ってもらったイタチくん a.k.a. lilフガク(16歳)がふとラッパーを志したら? 作り方や売り方は調べればまとめサイトや解説動画で出てきますよね。ガレッジバンドでメイクして、サンクラやユーチューブに放流して耳目を集め、まとまったアルバムをバンドキャンプやらスポティファイで売ります。トレンドを押さえる為に海外の音楽ニュースサイトをフォローし、SNSで仲間と交流して、ティックトックで一山当てたlilフガクは無事インターネットドリームを掴みビッグマネーを手にしました。

 

はい、ここに掲示板で音源をやり取りする流れから発生した「ネットラップ」という文化が介在する余地、有りますか?

無くない?

 

そう、ネットで音楽やるのが目新しくもなんともなくなり、真っ先に浮かぶフィールドがYouTubeやサンクラといった世界的なプラットフォームに移っちゃった結果、「ネットでラップしたい」って時にニコラップやネットラップ(せかちゃん)に辿り着くルートがめっきり存在感を失ってるんじゃないかなと思うんです。入り口が分かり辛いってことは入り辛いってことなんで(進次郎フロー)、そら限界集落になってく訳です。出てくばっかなんで。さや香でいうとこの佐賀県

道自体はあるんですけども、草むしてるし、看板がね。色褪せてるというか、傾いてるというか。ネットラップに近いことをやってて、フリートラックとか、素人ぽさとか、ナードに振った内容とか、現場ではまあ見かけないトリッキーなスタイルとか手軽なremixムーブメントとか、要素もネットラップに通じてるものがあっても、当人が「ああ俺ネットラップやってるな」と、敢えてネットラップとしてリリースしてるものは(周囲で聴きつけた古老達が「ネットラップみあるな」「これネットラップじゃん」ってなるのはノーカンで)いってて3割じゃないですかね。希望的憶測でお話ししております

 

ニコラップが流行ってた頃に、ニコラップから入ったせかちゃんに理解の無い勢が年末マイクリレーを荒らした事例があったそうで(そのせいで年末MRの但し書きには『毎年記していますがこれは「ニコラップ」の年末MRではなく「せかちゃんくるー」の年末MRです』ってついて回ってます)、裏を返せばニコラップ→せかちゃんっていうルートが存在してたんですよね。「ネットラップ」という大枠のジャンル内で、そういう文化があるんだよねって皆ニワカでもボンヤリでも共有してたから。ニワカでボンヤリしてるのが問題になったんですが。

じゃあなんで少なくとも当時は共有できてた(と思う)のか

ひとえに、インターネッツ黎明、黎明って感じではないか。勃興期? 電車男以降。人口が膨らみ多種多様なサブカルが華開いた掲示板で、ネットでラップをする為に「ネットラップ」を産み出し、国内で盛り上がりを見せていたニコニコ動画へ進出していった先人たちがネットラップ出身を主張しながらブイブイ言わせて、結果ネットでラップやりたい層にアピールしてたおかげですよね。素人でも一芸を磨いて拡散の波に乗って活躍の場を広げていける、というネットのポジティブな側面。そしてリスナーもプレイヤーもネットユーザーに限られることで醸成された地域性、土着性。ネットでこんなガッチリ日本語ラップなんだ、うわアニソンのカラオケでボカロのインストでやるんだ、えっこんなヤバい奴おんの、ライブイベントも主催しちゃうの、そんでそいつらが時にはバチバチ、時には馴れ合ってごちゃ混ぜになってる感。ボーダレスというか、ごちゃ混ぜ。それをレペゼンしてくれてるような暴れっぷり。

そういう、看板役を担ってた往年のプレイヤーはめっきり活動頻度落としたり、バッチリ売れて配信やライブ中心になったり、上げるにしても先ずYouTubeやサンクラに出すんですよ。なんてったって視聴し易いので。人も多い。でもそこはもう世界的なプラットフォームだから「おっ、あの人の新曲上がってる」とは思っても「おっ、新しいネットラップが上がってる」とはならない。意識的に、曲の中なりでわざわざ言及してくれて、ちゃんと反応してかない限り。その点『I LOVE NETRAP』はやったね〜。俺はいつまであのブログ放置してるんだろう

 

ベテランにしてもド新人にしても、取り敢えずは聴いてもらわないとだし、らっぷびと筆頭に「売れた」人は売ってかないといけないので、未だにニコラップやせかちゃんに固執してバリバリやってネットラップの存在を維持させ続ける意味というか、ネットラップの本懐?的なものってもう別に一定の成果を残して広まって、同時に薄まってったんですよね。ほいでネットラップの名を冠した文化の、煮詰まった濃ゆい部分は蒸発して蒸発して限界突破集落←今ココなのではないかと。

 

そもそもあの時の先輩達の頑張り、あの時の隆盛が凄かった、バイブスを持ってスキルも多彩で確かな人達が2chやニコ動にあんだけ集まって傑作佳作怪作問題作を量産してた過去の方がよっぽど奇跡で、まぁ別に、勢いが落ち着いてしまえばこんなもんで、青春あるいは黒歴史として、アーティストの思い出インタビューや関連イベントのDJにふと立ち現れるのを眺めて集団幻覚にキャッキャするくらいが丁度なのかもしれません。

勿論、狂わされた1人としては忸怩たるお気持ちもあります。先輩達以降、続かなかったな〜ていう。俺がね。ピチピチフレッシュでバキバキスキルでニコラップにもそこそこ理解ある人っていっぱいいるんで。究極、俺がやれてないよなっていう。M.C.Zもっと頑張って欲しいな。ニコ動が伸びなくなったのも一因だと思うよ。ニコ動も頑張れ。ニコ動は頑張ってるよ。

 

こうやって消えていくコンテンツ、いっぱいあるんでしょうね。

一応私も徐々に弱って自然消滅していく幾つかの文化を看取った経験があります。私が勝手に「オワコンやな」つって見切りつけたんじゃないですよ。それは私が終わったってだけなんで。コンテンツの終わりは、勢いが失われても、味が薄れても、それでも残っていた最後の1人が遂に去って更新が止まった時。振り返られなくなったら、ほんとのほんとに最期です。記録だってすぐ消えちゃうし、埋もれちゃう。今でさえ嘗ての姿を偲ぶには有名人の思い出話や個人がサルベージした音源に頼らざるを得ないネットラップにも、確実にその時が近づいてきています。まだまだ先の予定ですが。正直十分長生きしてると思わなくもない

 

ネットラップを、ニコラップをレペゼンする旨味がとっくにカスカスなのは既になんべんも書いてる気がしますが、限界集落remixを機にまた書きました。嬉しかったので。

皮肉にも、プロアマ問わずネットでラップするのが珍しくもない時代に入って、ネットラップへのアクセスは先細り伝説の残滓が漂うばかりの限界突破集落になってしまいましたが、ガチキッズの頃から指咥えて聴いてた年末MRのremixに存在できて、しかもとんでもなくお手を煩わせてしまい恐縮しながら心から感動してるプレイヤーも居ます。誰とは言わんけど。それが私の希望で、今回はそれをこそ書いておきたかった。

 

 

まぁじっくり時間と労力をかけて如何にオワコンがオワコンたるかを言語化するのも愛が無きゃできないですから。愛だね。うん。

なんならもっとガッツリ書いてたんですがなんか下書き保存ミスって2000文字くらい飛んじゃってクソ萎えたので今日はここまで。やる気出たらまたまとめます。メーリオという数十年アチアチなコンテンツにも、ネットラップといういつ寿命を迎えるかってコンテンツにも、既に息を引き取ったコンテンツにも心を動かす力があって、誰かとの御縁を待っているのです。では

 

('A`) < 踏み躙られるほど美しく